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石川伊知右衛門のエッセイ


by ishikawa_ichiemon
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7つの習慣 第一部 #17

最近、年下の正社員の言葉がズキズキと僕の胸に突き刺さります。
自分の化けの皮が剥がされたという感じがします。
僕のハートが、鋭いナイフで切り刻まれたような痛みです。
それもこれも僕自身が、成長のプロセスを無視していたからなのかもしれませんね。
優しさという言葉にかまけて、何かを失くしてしまったようです。
学びの一年だったのかもしれませんね。

7つの習慣

第一部 パラダイムと原則について

=インサイド・アウト(内から外へ)=

■成長はプロセスである

さて、本題に入る前に、以前書いた『7つの習慣 第一部 #14』のエピソードも思い出しておいてくださいね。

では、コヴィー氏の講義を始めましょうか。

周りの人との深い充実した人間関係を築くためには、まず相手の言葉を聴くことから始めなければなりません。そこでは精神的な強さが要求されます。本当に人の話を『聴く』ためには、忍耐、自制、そして相手を理解したいという気持ちなど、高度な人格の要素が必要不可欠である。低い人格しか持ち合わせていなくても、格好良くアドバイスすることはできる。それは、本気になって相手の話を聴くという行為よりもはるかにたやすいものです。
テニスやピアノなど、ごまかしが全く効かない分野において成長のレベルは意識しやすい。しかし、人格や精神の成長に関しては、ごまかしが効くことがあるので成長レベルを簡単に測ることができないのです。他人の目を欺こうと格好つけたり、着飾ったりすることは簡単です。できるふりをすることも可能でしょう。自分自身さえも騙せるかもしれません。しかしながら、ほとんどの人は、自分自身の本当の人格のレベルを知っていると思うし、長期的には周囲も必ずその真実を見抜くだろうと、私は確信しています。
企業においても、しかるべきプロセスを踏むことを嫌い、近道をしようとして迎えた結末を、私は過去何度もみてきています。経営者は檄(げき)をとばすような演説や、従業員の態度を改めるための研修、外部コンサルタントによる改善計画や買収合併などによって、高い生産性や品質あるいは顧客満足を確保できる新しい企業文化を『購入』しようとする。しかし、そうした行動は職場の信頼を低下させてしまっていることに目を向けようともしないのです。そして、自分のテクニックを探し始めます。こうしたことを繰り返すばかりで、信頼の高い組織文化を支える基本的な原則をずっと無視続けるのです。

あるコヴィー氏のエピソード。

何年か前のことになるが、私は父親としてこのプロセスという原則に違反してしまったことがあるのです。ある日、仕事から帰ると、三歳になる娘の誕生日パーティーが始まっていた。彼女はリビングルームの一角に座り込み、もらったばかりのプレゼントを抱え、ほかの子供たちにそれを貸すまいとしていた。はじめ私は、娘を取り巻いてそのわがままぶりを見ていたほかの子供たちの親の視線に恥ずかしさを覚えた。当時、私は大学で人間関係論を教えていたから、なおさら恥ずかしく思った。親たちが私の対応の仕方に何か期待しているのを痛切に感じていました。
部屋の中には、一種険悪な雰囲気が漂っていた。子供たちは皆、娘の周りに群がり手を差し出しては、プレゼントのおもちゃで遊ばせてほしいと頼んでいた。しかし、娘は頑固にそれを拒否し続けていた。私は、自分に言い聞かせた。=『分かち合う』ということを教えるべきだ。『分かち合う』ことは社会の基本で、大切なことだから=
単純に頼んでみることから始めた。
『おもちゃを貸してあげてくれないかな』
『いや』
きっぱりと断られました。
次に理屈で訴えてみることにした。
『君がおもちゃを貸してあげれば、今度よその家に言ったときに、おもちゃを貸してもらえるよ』
『いや』
またしても、即座に答えがかえってきました。
娘を全くコントロールできない姿を晒し(さらし)、私は恥ずかしくてたまらなかった。今度は、買収にかかった。
小声で、
『おもちゃを貸してあげたら、いいものをあげるから。ガムがあるぞ』
『ガムなんかいらない』と娘が叫んだ。
もう、どうすればいいのかわからなかった。第四の策として、脅迫した。
『貸してあげなければ、おしおきだぞ』
『いいもん。これ、あたしのだもん。』
そう言うと、娘は泣き出した。
最後は実力行使である。娘の持っているおもちゃを力ずくで取り上げ、ほかの子供たちに渡した。
『さあ、これで遊んでいいよ』


娘には、人に貸し与えるという経験の前に、所有するという経験が必要だったのだと思います。(そもそも所有していないものをどうして人に与えることができるだろうか)。父親として、娘にそうした経験をさせてやるためには、自分の側にもっと高い精神的な成熟が必要だった。
しかし、この時の私は、子供の成長や子供との関係より、周りの親たちの目を気にしてしまっていたのです。短絡的に『私は正しい。娘はおもちゃを貸すべきだ。娘の方が間違っている。』、そう判断した。
私自身の低いレベルから、娘に高度な期待を押しつけたのです。娘の行為に対して忍耐したり理解したりすることができなかったために、私は娘に、友達物を貸し与えるように要求したのです。自分の人格の弱さを補うために、自分のできなかったために、自分の地位や権限から力を借りて、自分の言いなりになるよう強要したのです。
しかし、、『力を借りることは、弱さをつくり出す』。まず、力を借りた人が弱くなります。なぜなら、物事を成し遂げるために、外的な力にいっそう依存するからです。そしてまた、強要された人も弱くなります。自主的な判断力や自制の力が育たないからです。最後にはお互いの関係も弱くなってしまいます。協力の代わりに恐怖が生まれ、一方はますます横暴に、そして一方はますます防衛的になっていくからです。
身体の大きさ、地位、権限、肩書き、容姿、過去の実績などが力の源になっている場合、それが変化したり失(な)くなったりすれば、はたしてどういう結果にになるでしょうか。
私自身がもっと成熟していたならば、内的な力=つまり、真の分かち合いや成長の原則に対する理解や、娘に対する愛、彼女の成長を思う心=を活かし、分かち合うかどうかの選択の自由を娘に与えることができたはずです。あるいは、説得に失敗しても、皆の興味をゲームやそのほかの遊びに向かせることで、娘にかかっていた精神的なプレッシャーを解消してやることができたかもしれない。後で分かったのは、子供は所有する気持ちをきちんと経験さえすれば、ごく自然に、自由に、自発的に分かち合うようになることだった。
私の経験では、教えるべきときとそうでないときがあります。親と子の関係が緊迫し、感情的な雰囲気になっているとき、教えようとする姿勢はかえって、子供には裁きや押しつけ、あるいは拒否という形で受け取られがちになります。双方の気持ちが落ち着いて関係がうまくいっているときに、子供と二人きりに静かに話し合う法が、効果ははるかに大きいのです。当時の私の忍耐や自制のレベルでは、それだけ成熟した人格までにはとても至らなかったのです。
真の意味では心から分かち合うには、まず所有している気持ちが必要です。子供の成長を助けるには、そうした所有感を持たせると同時に、分かち合うことの大切さを教え、その模範を示すことが必要なのです。

そうコヴィー氏は、語っています。

僕の成長のプロセスは、どうやらうまくいっていなかったようです。
だから、いまだに依頼心が強く、上手に生きていけないのです。

いま僕を救ってくれるのは、紅茶の温かさだけなのでしょうか。


by 石川 伊知右衛門



テーマ曲 Norah Jones / Dont Know Why
Norah Jones Live Dont Know Why

by ishikawa_ichiemon | 2009-12-20 17:09 | 7つの習慣