今日も、年下の正社員から、蹴り5発、頭を2回どつかれた。
それとヤクザのような罵倒。
まあ、僕の些細なミス?注意不足?気づき不足?
なんでもいいのだけど、何故か彼は執念深い。
確かに僕より仕事は出来るかもしれないが、
普通、自分が正しいからといって、そんなことで、蹴りが入るか?
年下上司も変だけど、コイツ(とりあえず、そう呼ばせてもらう)もっと変。
僕が変なのかな。
この会社では、僕は特殊人間らしい。
たしかに不器用ですけど。
高倉健じゃあるまいし、それじゃ通用しないよね。
でも。暴力はないでしょ。
良い製品をつくるために一生懸命?でも、結局、単に早く終わらせたいだけ?
サービス残業しなければならないから?
それを、『効率』という大義名分で責めてくる年下上司、
そして、暴力をふるう年下正社員。
なんで、こんなに言われっぱなし、蹴られっぱなしなんだろう。
我ながら、呆れる人の良さ?いや馬鹿さ?
ま、いいや。とにかく、機械の歯車人間になるのは嫌だ。
そういえば、その年下暴力正社員、今年いっぱいで辞めるそうです。
さて、それでは7つの習慣をはじめましょう。
コヴィー氏の言葉です。
7つの習慣第一部 パラダイムと原則について=インサイド・アウト(内から外へ)=■問題の見方こそが問題である
正しい原則に沿って充実した生活を送っている人や、繁栄している家族あるいは成功している組織を見ると、人は驚き、そして強い関心を示します。成熟した人格を持つ個人、一致協力している家族、事業環境の変化に素早く柔軟に対応できる組織文化に、敬服します。
そして、次には『どうやればいいのですか。コツを教えてくれませんか』と訊く。そうした質問をする人の基本的パラダイムが、そこからうかがい知ることができます。本当に訊きたいのは『私の問題を一刻も早く解決してくれるような、手っ取り早い応急処置的な解決方法・アドバイスを与えてください』ということです。
そうした質問に応えてくれる人は簡単に見つかるでしょう。そして、短期間においては、とりあえず教えてもらった解決方法やスキルあるいはテクニックも効き目があるように見えるでしょう。鎮痛剤やバンドエイドのように、急性の痛みをしばらくの間は和らげてくれるでしょう。しかし、表面化にある慢性的な問題はそのままであり、すぐに別の新しい急性の症状が表れてきます。急性の問題や痛みに対して応急処置ばかりを続けていれば、やがてはその対応策自体が表面化に隠れている慢性的な問題をかえって悪化させる結果になります。
つまり、問題の見方が問題なのです。
この章の冒頭で紹介した課題と個性主義的な考え方の関係について、改めて考えてみることにしましょう。
『今まで私は何回もマネジメントやコミュニケーション・スキルの研修を受けてきた。部下に対して大いに期待しているし、私自身も日頃から親切で良い上司になろうと努力している。しかし、部下の忠誠心が全く感じられない。もし、私が病気で休みでもしたら、皆がサボるのではないか、と心配でならない。彼らに自主性と責任感を持たせる、あるいはそういうものを持っている従業員を見つけることがどうしてできないのだろうか』個性主義の教えによれば、大胆な行動を起こし==部下を脅すなどして==態度を改めさせたり、部下の決意をさらに深めるために、新しいモラル向上やチームワークの研修を導入したり、あるいは、もっと仕事ができる人を新規採用すべきだということになります。
しかし、部下がこちらの真意を疑っているということはないでしょうか。また、こちらも、彼らのことを念頭におかずに行動し、彼らを物のように扱っていることはないでしょうか。心の奥底では、彼らを物や道具のように
見ているということはないでしょうか。部下に対する見方そのものが問題をつくり出していないでしょうか。
『やらなくてはいけないことが山ほどたまっている。いつも時間が足りない。毎日毎日、朝から晩まで追われっぱなしだ。時間管理セミナーに参加してみたしいくつものシステム手帳を使ってみた。しかし、それでもまだ自分が思うような充実したバランスの取れた生活はできていない』個性主義の教えによれば、何か新しい手帳やらセミナーやらによってもっと効率良く行動し、こうしたプレッシャーを緩和させる方法があるはずだといいます。
しかし、効率を上げることが、本当に問題的な解決になるのでしょうか。より少ない時間でより多くのことを成し遂げるだけで、本当に生活が良くなるのでしょうか。もしかすると効率を上げることによって、今自分の人生をコントロールしている状況や人に反応する速度が早まるだけではないでしょうか。もっと深く根本的に見なければならないことはないでしょうか。時間、人生、自分自身についてのパラダイムがこの問題をつくり出しているということはないでしょうか。
『私たちの結婚生活は味気ないものになってしまった。喧嘩するというわけではない。ただ愛する気持ちがなくなっただけ。いろんな人に相談したし、頑張ってはみたが、昔のような気持ちはどうしても戻ってこない』個性主義によると、人の気持ちを湧き立たせる方法を教えてくれる新しい書物やセミナーを利用することによって、妻との理解を深めることができるようになるといいます。いや、あるいは、必要としている愛を得るには、新しい相手や新しい関係が必要なのかもしれません。
しかし、本当に問題なのは妻だけなのでしょうか。妻の欠点に対して過剰に反応し、自分の幸せをすべて彼女の行動に依存させてはいないでしょうか。妻とは、結婚とは、愛とは何なのか、ということに対する基本的なパラダイムが問題を肥大化させてしまってはいないでしょうか。
個性主義のパラダイムが私たちの問題に対する見方や解決策に、どれほど強烈な影響を及ぼしているか、理解していただけたでしょうか。
そうした、傾向を意識してもしなくても、最近、多くの人々が個性主義の空約束と幻想から目覚め始めています。世界中の企業、その他の組織に対してコンサルティングを展開する際、長期的展望を持つ経営者たちは、ことさら新しいものであるかのように話される
『平凡な教え』に興味を失(な)くしていることがよくわかります。彼らは、実質とプロセスが見たいのです。鎮痛剤やバンドエイド以上のものが欲しいのです。表面上の慢性的な問題を解決し、長期的な結果をもたらす原則に集中したいのです。
以上のようなことがコヴィー氏によってこの節では語られています。
まあ、ここだけ読んでもどうかと思いますので興味があったら、前の記事など読み返してみてください。
まだまだ、先は長いですよ。
予断ですが、やっぱり派遣社員て物あつかいなんですね。
古い壊れた機械で効率を上げようなんて無理な話です。
おまけに、腹いせに罵倒、暴力、そんなもので人を動かそうとしてもこれまた無理な話です。
だけど、どうせ派遣社員だからと諦めてる僕も馬鹿なんですけどね。(苦笑)
さて、明日は休日、なんだかゆっくり紅茶が飲めるなあ。
二杯ぐらい頂こうかな。
では、また。
by 石川 伊知右衛門
テーマ曲 Norah Jones / Dont Know Why